小金井自然観察会 コラム

(会報 こなら 2018年10月号に掲載)

自然界の音楽

清水 徹男 (当会初代会長)

 

自然界はいろいろな音にあふれているが、それを聴きとり、聞き分けるのも自然観察の楽しみの一つである。野川公園あたりで聞くこと の声をとりいれた西欧の楽曲は多数作られてきた。例えば、「カッコウ」⇒ヨナーソン(かっこうワルツ)ほか、「ヒバリ」⇒ ハイドン(弦楽四重奏67番二長調)ほか、「ハクチョウ」⇒サン=サーンス(動物の謝肉祭)、シベリウス(トウネラの白鳥)ほかなどがすぐに思いつく。

このうちわが国でも良く知られている「かっこうワルツ」は野鳥(カッコウ)の声をメロディに取り入れた曲であるが、他の曲の多くは、その雰囲気がある鳥の声を思わせる、というところから名付けられたものであり、鳥の声を直接描写したものではない。だから、たとえばサンサーンスの「白鳥」を、曲名を知らされずに聞かされて直ちにハクチョウを思い浮かべる人はおそらくほとんどいないだろう。だいいち、白鳥、と聞いてその鳴き声をすぐに思い浮かぶことができる人は多くないだろうし、たとえ思い出したとしてもあの声はあまり音楽的とはいえない。

ところが、野鳥の声そのものを、しかも3種も、メロディに取り入れた有名な曲がある。ベートーベン作曲、交響曲第6番「田園」がそれであり、この曲は第2楽章の末尾で、フルートでナイチンゲール、オーボエでウズラ、そしてクラリネットでカッコウを歌わせている。 

ほかにも西欧には鳥の名前を題材に取り入れたり、声をメロディに利用したりした楽曲は多数あるが、セミやコオロギの声など、虫の名前や声を利用した曲があることを知らない。その理由として、西欧は緯度が日本より高いので棲んでいる虫の種類が日本よりはるかに少ないこと、日本人は古来、虫の声をめでて楽しむ文化があるが、西欧にはそのような習慣が全くなく、虫の声は雑音としてしか認識されていないこと、などが挙げられる。

そして実際のこととして、鳴く虫の声を聞くことができるのは日本人と一部のポリネシア人だけの能力で、他の人類(!)には虫の声が聞こえず、たとえ聞こえたとしても雑音としてしか聞きとれないのだそうだ(※)。私も人間の音声認識構造や聴覚能力などは全くの素人だから詳しいことは判らないが、我々が、西欧人が持たない機能を具有し、その能力のおかげで秋の鳴く虫の声を楽しんでいると聞くと、日本人でよかったナ、得したナ、と誇らしい気持ちになる。 

むかしの小学唱歌に「虫の声」というのがあった。「あれ松虫が鳴いている……」、今でも秋の夜に無意識に口ずさむことがあるが、あの歌にはマツムシ、スズムシ、コオロギ、ウマオイ、クツワムシの5種の虫が顔を出す。以前、小金井でもこれらの声を聞くことができた。ずっと以前、自宅近くの東八道路に面した草薮でマツムシの声を聞いて感動を覚えたことは忘れられない。近年ではコオロギの仲間やアオマツムシの声こそ聞かれるが、マツムシ、スズムシ、ウマオイ、クツワムシなどの声が聞かれなくなったのは、私の聴覚が齢とともに衰えたせいだろう。それとも本当にこれらの鳴く虫は小金井から姿を消してしまったのだろうか。

科学にちなんだ随筆の大家として知られている氷雪学者の中谷宇吉郎博士は、児童教育を取り上げた随筆「簪を挿した蛇」の中で、「本当の科学というものは、自然に対する純真な驚異の念から出発すべきものである」と述べておられる。そうすると、毎回のように野川公園で新たな自然の驚異に出会って感動に浸っている我々は、何時も科学の出発口で貴重な体験に出会っていることになり、これはまことに幸せなことと云えるだろう。私も、またいろいろな虫たちの声を聞いて驚異の念を抱き、そして新たな感動に浸りたいのだが……。

※中国人を含むアジアの人たちは、虫の声を楽しめるそうです(編集部注)。

会報 こなら 2018年4月1日号に掲載

「海がめ」と「陸がめ」譚(雑記帳訂正追加)

  

清 水 徹 (小金井自然観察会初代会長)


 昨年4月の会報122号に「自然観察雑記帳」の正誤表を載せていただいたが、その後、更に間違いを発見したので訂正したい。即ち128頁第10行目に「トータル」とあるのは間違いで、正しくは「タートル」である。「モックトータル」ではなく「モックタートル」が正しい。ところで「モックタートル」がどんな動物かご存知か。

まず皆さんは英語で「カメ(亀)」を指す語に「タートル(turtle)」と「トータス(tortoise)」の二つがあり、前者は専ら海ガメを、後者は陸ガメを指すことをご存知のことと思う。次に「モックタートル」であるが、英和辞書を見ると「mock turtle」は載っていないが、「mock turtle soup」という語が載っている。mockというのは「偽物」とか「模造品」という意味だから、「mock turtle soup」は「偽の海ガメスープ」を意味し、辞書にも「海ガメスープに似せて造る仔牛の肉のスープ」とある(研究社、新英和中辞典)。

このように「偽の海ガメスープ」という語があるということは、西欧では「海ガメスープ」というのが既に知られた食品であることを意味する。このスープは至極美味で、かつては王侯貴族にもてはやされたという。たとえば1987年に映画化され日本でも公開されたデンマークのI. ディネーセン作『バベットの晩餐会』にも、片田舎で働くバベットが村人を招いた晩餐会の食材中に、大きな生きた海ガメを見た村人が驚愕し、更にそのスープが美味なことに驚嘆するシーンがあった。 

何を言いたいのか判らなくなってしまった。そう、「不思議な国のアリス」に出てくる架空の動物「モックタートル」のことである。あれはわが国では小児向けの話とされているが、あの中には子供にはとても理解できない大人向けの言葉遊びや、英国史を知らないと判らないジョークがあちこちに見られるので、英国人と一杯やっているときにこれを話題にすると「おっ!知ってるね」と尊敬されて話がはずむことは間違いない。保証する。そして、あの小説のなかで「モックタートル」というのはアリスの作者のルイス・キャロルが「モックタートルスープ」にヒントを得て創作した超架空の動物なのである。即ち、本来は「偽の、海がめスープ」であるところを、キャロル先生は「偽海がめの、スープ」と洒落たわけである。

ところでアリスとモックタートルとの会話の中でモックタートルが「学生時代に良い先生に教わった」というので、アリスが「その先生は海ガメ(turtle)先生でしょ」と聞くと、モックタートルはまじめに「いや、陸ガメ(tortoise)先生でした、なにしろ我々を教えて下さった (taught us) のですから……」と答えてアリスを煙に巻くのが何ともおかしい。

このほかあの話に出てくる「いかれた三月ウサギ」、「いかれた帽子屋」、「縞模様のチェシャ猫」など、その語源を探ると興味が尽きない。また話が飛んでしまった。要するに「モックトータル」を「モックタートル」に訂正して欲しい。それだけのことなのである。

ところでこのように「モックタートル」で思考の遊びを楽しんでいるとき、この語がある分野で現実に使用されていると知って驚いた。即ち服飾用語で首に密着する高い襟、もしくはそのような襟を持つセーターやTシャツのことを「タートル ネック」と呼ぶが、これは単に「タートル」と略称され、そして「タートル ネック」ほどではないが高い襟のセーターやシャツのことを業界では「モック タートル」と呼んでいる事実があるのを知った。このようなことは多少なりとも服飾やファッションに興味をお持ちの方であれば常識なのだろうが、これまで私が得々と「モックタートル」につき浅い知識をひけらかしていたのがお恥ずかしい。この様子では、この広い世の中にはまだほかの分野にも「偽海がめ、モックタートル」がいるのではないか、と気になってしまう。

ところで小金井近辺で見られるカメといえば、貫井神社や滄浪泉園の池などで多数見られるミシシッピーアカミミガメ(=ミドリガメ)であるが、ご存知のようにこれは外来種であり、他の生物の生活の妨げになるとして特定外来生物に指定され駆除の対象にされている。これのスープがうまいかまずいか、私は知らない。